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外山恒一氏についても一言いっておこう。 このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:雑言 
今度の東京都知事選で出馬宣言をして、
ブログ界隈で一躍脚光を浴びている外山恒一氏。

先日、NHKのニュースで外山恒一出馬の報道を聞いて
正直、耳を疑った。

尤も、彼とボクは、
残念ながら個人的な付き合いは、なかった。
そして、
もっと残念なことに、
今後付き合えるとしても、
付き合いたいとも思わない。


彼は、ボクがまだギターを弾いていた高校生のころ、
愛読していた音楽雑誌「バンドやろうぜ!(通称:バンやろ!)」
「つれづれパンク日記」なるものを連載していた。
ボクは、彼のエッセー(檄文)の一読者に過ぎなかった。

ボクは、彼の文才に惹かれていた。
彼の文章を読むために「バンやろ!」を買っていたと言っても過言ではなかった。

ちなみに、
「バンやろ!」自体は小・中学生が読むようなアマちゃん雑誌で、
音楽の知識を仕入れるのには専ら"Guitar Magazine"だったが、
彼の「つれづれパンク日記」だけが、
宙に浮いたように、怪しく異彩を放っていた。


その頃のボクといえば、
部屋に篭ってギターを弾いているか、
エロ本をよんでいるか、
音楽を聴いているか、
ラジオを聴いているか、
いまのニートのハシリのようなことをしていた。

一応、高校には行っていたが、夏休みなどの長い休暇になると、
昼夜は逆転し、フラフラと夜の街を彷徨っていた。

そんなボクは、
「革命家」というエキセントリックな肩書きと、
パンキッシュな容貌から紡ぎだされる「淀みない文章」を、
行き場のない尾崎豊の歌とともに、
井上陽水のニヒリズムとともに、
そして、
まだ始まったばかりの山下達郎のサタデーソングブックや
(当時は土曜日に放送していた)
古田新太のオールナイトニッポン
なんかと一緒に咀嚼していた。

彼の影響を受けて、高校時代の文集の寄せ書きには、
「革命家・ストリートミュージシャン早崎」
と書いた。

まだ、「ゆず」も「19」も出る前で、
ストリートミュージシャン自体レアな存在だった。

当時は、若者がフォークギターを持つことは
長淵を弾くこと以外は許されなかった。

そんな時代だった。

その頃、一度だけ、写真ではなく動く外山恒一をTVでみたことがある。

たしか武田鉄矢が、旅番組で地元福岡を訪ねる番組だった。

井上陽水、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、海援隊などを輩出した ライブハウス照和を訪ねたり、
福岡の親不孝通りでたむろする若者達を、
武田鉄矢が説教したりしていた。

なんと、その武田鉄矢に説教をされる若者の中に外山恒一氏がいたのだ。
フォークギターとBlues Harpで、確かブルーハーツを演っていた。
15年ほど前のことだ。

気の利いたミュージシャンならば、
軽いセッションも行われただろうが、
武田鉄矢だったので、残念ながら、説教。

親不孝通りで武田鉄矢に説教される外山恒一。
おそらく両者ともに記憶はないだろうが、ボクは覚えている。
(その後、「バンやろ」の連載の中で、「武田鉄矢の番組にでた」
という行(くだり)が掲載されたので、間違いないだろう。)

そして、さっき、2度目の動く外山恒一氏を見た。



ボクの青春の一ページの外山恒一氏。
なんともいえない、恥ずかしさと寂寥感。

外山恒一さん、

ボクは、もう体制派で生きていくことにしたよ。

すまねぇ・・

いまじゃ、ネクタイだって締められる様になったよ。

ボクが高校生だったころは、熱病に魘されてたんだ・・

ごめんよ、さよなら・・



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