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2007年3月

外山恒一氏についても一言いっておこう。 このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:雑言 
今度の東京都知事選で出馬宣言をして、
ブログ界隈で一躍脚光を浴びている外山恒一氏。

先日、NHKのニュースで外山恒一出馬の報道を聞いて
正直、耳を疑った。

尤も、彼とボクは、
残念ながら個人的な付き合いは、なかった。
そして、
もっと残念なことに、
今後付き合えるとしても、
付き合いたいとも思わない。


彼は、ボクがまだギターを弾いていた高校生のころ、
愛読していた音楽雑誌「バンドやろうぜ!(通称:バンやろ!)」
「つれづれパンク日記」なるものを連載していた。
ボクは、彼のエッセー(檄文)の一読者に過ぎなかった。

ボクは、彼の文才に惹かれていた。
彼の文章を読むために「バンやろ!」を買っていたと言っても過言ではなかった。

ちなみに、
「バンやろ!」自体は小・中学生が読むようなアマちゃん雑誌で、
音楽の知識を仕入れるのには専ら"Guitar Magazine"だったが、
彼の「つれづれパンク日記」だけが、
宙に浮いたように、怪しく異彩を放っていた。


その頃のボクといえば、
部屋に篭ってギターを弾いているか、
エロ本をよんでいるか、
音楽を聴いているか、
ラジオを聴いているか、
いまのニートのハシリのようなことをしていた。

一応、高校には行っていたが、夏休みなどの長い休暇になると、
昼夜は逆転し、フラフラと夜の街を彷徨っていた。

そんなボクは、
「革命家」というエキセントリックな肩書きと、
パンキッシュな容貌から紡ぎだされる「淀みない文章」を、
行き場のない尾崎豊の歌とともに、
井上陽水のニヒリズムとともに、
そして、
まだ始まったばかりの山下達郎のサタデーソングブックや
(当時は土曜日に放送していた)
古田新太のオールナイトニッポン
なんかと一緒に咀嚼していた。

彼の影響を受けて、高校時代の文集の寄せ書きには、
「革命家・ストリートミュージシャン早崎」
と書いた。

まだ、「ゆず」も「19」も出る前で、
ストリートミュージシャン自体レアな存在だった。

当時は、若者がフォークギターを持つことは
長淵を弾くこと以外は許されなかった。

そんな時代だった。

その頃、一度だけ、写真ではなく動く外山恒一をTVでみたことがある。

たしか武田鉄矢が、旅番組で地元福岡を訪ねる番組だった。

井上陽水、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、海援隊などを輩出した ライブハウス照和を訪ねたり、
福岡の親不孝通りでたむろする若者達を、
武田鉄矢が説教したりしていた。

なんと、その武田鉄矢に説教をされる若者の中に外山恒一氏がいたのだ。
フォークギターとBlues Harpで、確かブルーハーツを演っていた。
15年ほど前のことだ。

気の利いたミュージシャンならば、
軽いセッションも行われただろうが、
武田鉄矢だったので、残念ながら、説教。

親不孝通りで武田鉄矢に説教される外山恒一。
おそらく両者ともに記憶はないだろうが、ボクは覚えている。
(その後、「バンやろ」の連載の中で、「武田鉄矢の番組にでた」
という行(くだり)が掲載されたので、間違いないだろう。)

そして、さっき、2度目の動く外山恒一氏を見た。



ボクの青春の一ページの外山恒一氏。
なんともいえない、恥ずかしさと寂寥感。

外山恒一さん、

ボクは、もう体制派で生きていくことにしたよ。

すまねぇ・・

いまじゃ、ネクタイだって締められる様になったよ。

ボクが高校生だったころは、熱病に魘されてたんだ・・

ごめんよ、さよなら・・



「ライブドア」について、そろそろ一言いっておこう。
平松庚三:ボクがライブドアの社長になった理由
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カテゴリ:ネットメディア 書評 雑言 

ボクがライブドアの社長になった理由
  • 著:平松庚三
  • 出版社:ソフトバンククリエイティブ
  • 定価:1575円
livedoor BOOKS
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献本ありがとうございました。

2年程前、
「IT業界の重鎮」のような方から寿司を奢って貰いながら、
「ライブドア」についての講釈を賜ったことがある。

その65歳前後の「重鎮氏」は、ITナントカ研究会やらを主催し、
業界でも顔の利く立場にいる人だったが、
曰く、
「ライブドアはIT業ではなく、金融業だ」
と一蹴し、ホリエモンを邪険にしていた。

そんな話を「重鎮氏」としたのは、2年前・・
ライブドア事件が起こる1年前になるのか・・

当時、ホリエモン率いるライブドアは、
マスコミをうまく使い、イケイケドンドン(死語)で、
株価も個人投資家からの注目を浴びてウナギのぼりであった。
ITとは無縁の細木数子でさえ、
「ライブドアの株はドンドンあがるぅ~!」
怪気炎を吐いている程だった。

ただ、「重鎮氏」から見るとライブドアのそれは、
「実業」ではなく、「虚業」にしか映らなかったのであろう。
もちろん企業買収と、度重なるマスコミへの露出、
それによる株価操作という側面は、
「実業」というより「虚業」といったほうが適切だったかもしれない。

ちなみにその当時のボクのライブドアに対する認識は、
「弥生」と「ターボリナックス」と、
あまり人気のない「ポータルサイト」をもつ会社、
という程度だった。

さて、アポ~なマスコミは、とりあえず置いておいて、
IT業界に属する者として、
IT業界自体、「虚業」と「実業」の差はかなり曖昧なものに見える。

そもそもソフトウェアの値段などはあってないようなものだし、
CSKの故大川会長ここらあたりの講演
「形のないもの売って上場した企業はウチが日本で初めて、でっせ!」
と言っていた。

では、
「ライブドアがやっていたことは果たして虚業なのか、それとも実業なのか」
どちらなんだろう。

これを考察するにあたって、
何が「虚業」で、何が「実業」かという前提を
明確にしなければならない。

んが、しかし、however,
その前提を固めるとなると、
それだけで、このエントリが終ってしまう可能性が高く、
それは本稿の趣旨から、大きくずれるので、
ここは読者の線引きに委ねるとして、
ボクの立場だけを明確にしておく。

思うに、ライブドアは、
何をやっているのか分からない薄っぺらなドットコム企業などではなく、 高い技術力を持ったインターネットメディア企業だと思う。
ただし、他のネットメディア企業と同様に、
サービス提供は、無料もしくはそれに近い形であるために、
現時点では、収益が上がりにくい環境になっているというだけ。

事件の前、粉飾決算の前に、
ホリエモンが採るべきだった経営方針は、
リストラを含む経営資源の「選択と集中」で、
投資事業と既存事業(いわゆる「金のなる木」)との配分の見直しだったと思う。

ライブドアが高い技術力を持っていることは平松氏の著作にも記載がある。

 ボクがライブドアに移籍し、仕事に着手したとき、驚いたことがある。
 それは、世間では「虚業」とか、「何をしているのかわからない会社」といわれていたライブドアが、じつは高度な技術集団を抱えたテクノロジーカンパニーだったということだ。
(中略)
マイクロソフト元社長の成毛真さんも、いっていた。
「いやー、おたくの技術はすごいねえ!地図も航空写真も、ビンビン、サクサク。グーグル以上に動くもんねー。驚いたよ」

平松庚三:ボクがライブドアの社長になった理由
P.262 - 263


「ライブドア=虚業」という図式は、
マスコミとホリエモンが協業して作り上げてしまったイメージであり、
マスコミにとっては、自作自演。
ホリエモンにとっては、墓穴を掘る結果になったのだと思う。

「じつは高度な技術集団」を作った魁が
dan氏であり、宮川氏であり、
そして現在、ma.la氏たちにもそのDNAが受け継がれている。

平松氏にはその求心力を衰えさせることなく、
ライブドアを再度、公の市場に公開させてほしい。

前出の故大川CSK会長の言葉を借りて、
ホリエモンにはエールを送りたい。

曰く、経営者になるための条件は、
以下のいずれかの経験を経ねばならない(らしい。)
 一.完全に信頼した人間に裏切られた経験。
 一.重病を患った経験。
 一.刑務所暮らしの経験。

ちなみにボクにその経験は無いし、したくない。
(マヂで。)


シリコンバレーより友が来たりて このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:off line系 
学んで時にこれを習う。
また説(よろこ)ばしからずや。
朋あり、遠方より来たる。
また楽しからずや。

学而第一だな。
今日の感想。

今日は、4~5年前に一緒に働いたことのあるMr.Kazuが
アメリカのSan Joseから一時帰国していたので、
ヨコハマ中華街にてランチ on ミーティング。
シリコンバレーでの仕事の様子なんかを詳しく聞いてきました。



シリコンバレーで働いてるっていうだけで
うらやますぃ~。
技術者の聖地。
GoogleやYahooといった会社のHQがあるところ。
Software技術者、憧れの地。

なんでも、
渡辺千賀さんのブログによれば、
シリコンバレーでは、 コンピュータサイエンスのドクターもってるやつなんてゴロゴロいて、 石を投げれば博士にあたるところらしいし、
モチオのブログによれば、
angel(投資家)とfounder(創業者)の関係は、 かなりフラットな関係らしいし、
そのほか、BLOG TV宮川さんが語るところによれば、
日本では地位の低いプログラマーがちゃんと正当な評価を得られるところらしい。

なんか、スゲーところだという印象がありました。

いいよねぇ、、、、
日本を飛び出して、そんなところで一度働いてみたいものです。

で、実際のところをMr.Kazuに聞いてみました。

続きを読む "シリコンバレーより友が来たりて" »


小林 登志子:五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語 このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:書評 

五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
  • 著:小林登志子
  • 出版社:新潮社
  • 定価:1365円
livedoor BOOKS
書誌データ / 書評を書く


献本キターーー!
新潮社さん、献本ありがとうございます。

早速、読了。

以下、読後の感想。

学者や研究者といったいわゆる「専門バカ」(といっては失礼だが。)が書いた本は、時々こういうスマッシュヒットを紡ぎだす。

その昔、宮崎市定という東洋史学者が書いた「科挙―中国の試験地獄」は、ヒタスラ科挙に関するを歴史を網羅しつづけている本であったが、メチャクチャ面白かった。
科挙という切り口で当時の受験生の生活を詳らかにしている。
試験中のカンニングの方法は言うに及ばず、
英才教育の方法や科挙合格後の人間模様、
おじいさんになるまで一生涯受験し続けた浪人生の生活などなど。

「五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語」も同じく、現存する希少な資料をもとに丁寧に当時の生活を描いている。
いささか世界史の教科書を彷彿とさせるパラグラフも少なくないが、全体としてよく纏まった佳作である。
歴史のこぼれ話のような話題も多く、読者の興味をそそる。

あえて苦言を呈するなら、いまいちこの本の立ち位置と矛先が明確ではない気がする。
著者の研究成果を編集者が煮詰めきれていない。
多少、話が霧散してしまっているのは、そのせいか。


新聞は広告を読む。 このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:ネットメディア 考え中 
3年ほど前、最初に勤めた会社を退職し、3~4ヶ月間、失業手当を貰いながら、ニート生活をしたことがありまして、暇にまかせて、ほぼ毎日図書館へ行って、1945年の戦後あたりから現在までの日経新聞を読破しました。
「なんでそんなことしたの??」とよく尋ねられますが、極めて酔狂な、かつ趣味的な理由で、自分でもうまく説明できませんが、「なんか大きな時代の流れを掴みたくなった」というのが本当のところです。
(自分で書いてて、変な奴だと思います。)

お陰で、日本史で習ったような「三鷹事件」や「下山事件」、「東京オリンピック」から「ニクソン・ショック」、その他、最近の「山一證券破綻」等々の出来事を、あたかもその時代に生きていたかのような体験を得ることができました。
まぁ、錯覚ですけどね。

その経験から得られた一番の収穫。
それは、「新聞は、記事本文よりも広告を読むべし」
だれが言ったのかは知りませんが、「広告は時代を映す鏡」というのは言い得て妙です。
記事の本文には時代を感じさせるようなことは、あまり書かれていません。
、そう言うと、語弊があるので言い直しますが、本文は、画一的であって、時代のノイズ的な情報というものを感覚的に取得するのが難しい。
まぁ、本文が画一的なのは、当然のことですよね。
もし新聞が多様性に富む文面になったら、相当程度読みにくいことになりますから。

開高健がむかし、ここらあたりのエッセイで、「物書きの職業人として、新聞を読まないことを密かなプライドとしている」というようなことを書いてましたけど、事件事故を濾過して、だれでも飲める水の一滴にする作業が新聞には必要なんだな。
だから、蒸留水のようにクセがない。
無味無臭。
これが新聞の「媒体としての」ひとつのミッションであることは確かなんですが、広告の方は?と言えば、企業なり個人なりが限られたスペースの中に思い切った言葉で自分たちの思いを投げ込んできます。
本文が蒸留水だとすると、広告のほうは、煮詰めたあとの「にがり」の一滴といったところでしょうかね。
要は、立ち位置の問題。

この「にがり」があらぬ方向へ飛んでいったり、泣かず飛ばずだったり、時には、当に「時代を映す鏡」となりうるわけです。

先のエントリで書いた「クチコミでもってる派遣会社です・・・」のコピーから今の時代を勝手に妄想してみますと、「クチコミ」というキーワードがこれほど持て囃された時代は、いまだかつてないでしょうね。
その背景には、「ネット文化」という言葉が見え隠れしますが、いずれにせよ、マスコミが「大衆の知」を重要視するという傾向は、大変気分が良い。
「旧メディア(新聞やTVとか)」と「新メディア(ネットメディア)」という図式を前提にして考えると、「旧メディアが新メディア(ネット)に対して頭を下げた広告かも!」なんていう見方もできますね。
(ちと、妄想が膨らみすぎましたが・・)

そんな、そこはかとないことを、日経新聞の広告を眺めながら考えた土曜日の平和な昼下がりなのでした。



クチコミでもってる派遣会社です・・・ このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:雑言 
ちょっと軽めのエントリをひとつ。

最近、首都圏の電車広告などで見かけるようになった
「クチコミでもってる派遣会社です」
という広告。
某派遣会社の広告です。


写真はイメージです

うら若き女性をターゲットにした感じですねぇ。
なんというか、パステルカラーで「ほんわか系」とでも言うのでしょうかね・・
ポスターのイメージは、いきいきと働ける感じです。

んが、
この広告に大きな矛盾を感じてしまうのは、僕だけでしょうか・・

クチコミでもってる派遣会社なら、
 マスに広告打たなくても良いのでは?
クチコミでもってる派遣会社なら、
 広告しなくてもクチコミだけでいいぢゃん!

つまり、
「クチコミでもってないので、マスに広告打ってます。」
と言ってるのと同じでは??

もっと、拡大解釈すると、
「評判が悪いので、なかなか人が集まりません。なので、マス媒体で広告打ってます。我々の悪評を知らない方、是非来てください。」
となります。

このコピー間違ってません?
信用がガタ落ちだと思いますが、いかがです?

ちなみに僕は、この派遣会社とまったく接点はありませんので悪しからず。


税理士に会う このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:DigitalGrooveClub 立ち上げ日誌 
会社設立にむけて、税理士と面談してきました。
去年の夏ごろから親戚のツテや、知り合いを通じて「良い税理士」さんを探していたんですが、なかなかピンと来る人に出会えません。

いつも行く美容院のオーナーに誰か良い税理士がいるかどうか聞いてみたり、叔父のツテを頼って、大手会計事務所に所属経験のある税理士とお会いしたり、税理士協会をいろいろと回ってみたり・・
それでも、どうもシックリくる人と出会えない。。

僕が税理士に求めた人物像は、

1.税務に詳しい(当たり前か。)
2.IT業界に明るい
3.会社の立ち上げに参画した経験がある。
4.報酬は、(できるだけ)お安く。
5.エラソーに構えてない。

簡単なようで、結構このスペックを満たす税理士さんって、なかなかいなかったですね。

特に、「5.エラソーに構えてない。」ってとこ、重要。

士(サムライ)業の方々って(まぁ、プライドがあるんでしょうけど、)な~んか「上から目線」の人が多いですよね。
そりゃ、こちらは「金ない、コネない、根性ない、まだ、デビューもしてない、人気も無い」っつう、電気グルーヴのデビューシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK」状態ですから、あんまり我が儘もいえませんけど。。
いきなり説教から始められてもねぇ・・・

ホリエモンが、昔、「インターネットについて、いちいち説明するのがめんどくさかったので、ニフティのフォーラムで(税理士を)探した。」と言っていましたが、2007年になっても、まだまだ、ご年配の税理士の方々には、いろいろと説明する必要がありそうです。

ちなみにお願いすることになった税理士さんは、1~5の条件を満たし、年齢も若くて会社法や労務にも結構明るい方なので、ラッキーでした。


畑村洋太郎:数に強くなる このエントリーを含むはてなブックマーク

カテゴリ:書評 

僕が数学で落ちこぼれたのは、高校時代。
高1の「不等式の証明」でチンプンカンプンになり、
ベクトルの存在意義がわからず、
微分のなんたるかを知らずに高校を卒業し、
現在に至ります。

今思い起こせば、
最後に数学を本気で勉強したのは、
高校2年の中間テストでしたな。
ほかの科目は一切勉強せず、
ただヒタスラに数学だけ勉強してテストに臨みました。

「数学を毛嫌いしててもダメだ!真正面からぶつからなければ!」
という、熱い青春の煮えたぎる義務感に突き動かされたのだと思います。
もしくは、ちょっとした「脅迫的呪い」を自分でかけていたのかもしれません。

そのときは、さすがに問題を解いてるときから手ごたえはバッチリ。
「ふふふ~ん」という感じでモリモリ答案を仕上げて、
自信満々でテスト結果を待ちました。

しかし、返ってきたテスト結果はなんと、赤点。

悲惨極まりない答案用紙を返されたその瞬間に、
数学との「永遠の別れ」を決意しました。

それからというもの数学は「赤点ギリギリ」の超低空飛行で、
なんとか高校は卒業したものの、
大学は当然のことのように私立文系を選択し、
数学とはほとんど関わることなく快適に生きてきました。

この「数に強くなる」は、数学の本ではありません。
こんな僕でもスラスラ読めて、しかも、しっかりと腹に落ちました。
いつも読んでいるブログ404 Blog Not FoundのDanさんが強力にプッシュしているので、ものは試しに立ち読みしてみましたが、かなり面白い。
これは、数学の本というより、いわば、人生の処方箋のような本です。

「数」という抽象物を具体的な事例でガップリと説明し、
かつ、
人生の道しるべを示す本とでもいいましょうか。

著者は、「失敗学」で有名な畑村洋太郎氏で、
「あぁ、こういう人こそ巨人というのかもしれない」と勝手にソンケーしました。

具体とは、「体(かたち)を具(つぶさ)に」と書き、
抽象とは、「象(しるし)を抽(ぬ)きだす」と書きます。

これは、僕の持論ですが、
抽象論は、机の上の理解で、いけしゃあしゃあと語ることができます。
しかし、実感のたっぷりこもった具体を展開するとなると、
その人の「人となり」が滲み出ます。
自分の日常を切り出し、自分の経験を表現しなければならないからです。
そして、この本にはそのエッセンスがたっぷり詰まっています。

実学としての数の扱い方を懇切丁寧に教えてくれる本。
傑作です。


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